5歳のころ、ピアノが光って見えた。
草むらを足で駆け抜ける音が楽しくてサッカーを始めた。
英語が話せない頃から、何度も耳を傾けてくれた友達がいた。
私の演奏で、言葉の壁があっても音楽なら伝わると表彰してもらえた。
ヴィオラのような目立たない音が音色の深みをつくることを知った。
徹夜で研究する私を、加湿器の音が見守ってくれた。
さみしさは、キーボードを打つリズムでまぎれた。
たった一音で、空間が広くなる瞬間をみた。音が、人の心に近いことを知った。
「音」そのものなのか、「音のようなもの」なのか。
思えば、ずっと音が手を繋いでいてくれたような気がしています。